2012年9月17日月曜日

書評:「平穏死」という選択/石飛幸三


石飛幸三先生に「『平穏死』という選択」を献本いただきました。石飛先生は、世田谷区立特別養護老人ホーム 芦花ホームで「看取り」に取り組まれています。


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この本は前著の「平穏死のすすめ」からさらに一歩踏み込んだ内容となっているだけでなく、制度や現場で起きていることも含めて様々な観点からの記述があり、この問題にまだ親しくない方でも課題の全体像を掴むことができる様になっています。
今回、この本で特に特筆すべきなのは下記2点だと思います。
①「看取り」の問題を法律の観点から検討がされていること
②芦花ホームの変革の過程が書かれていること

①については石飛先生が黒田和夫弁護士と一緒に看取りに関して法的な検討を重ねるために行なわれてきた勉強会の内容をご紹介されているものです。黒田弁護士による考察が25ページに渡って収められています。「平穏死の要件」もまとめられているなど、非常に意欲的なものです。

②については介護の現場で日々の改善の中でより良いホーム作りをしている全ての人々にとって、参考になるものではないでしょうか。現場の看護士/介護士の方々もこの変革の過程を振り返って文章を書かれており、一筋縄ではいかないホームの変革が多くの方々の我慢強い努力の末に成ったことがわかります。組織変革の事例としても優れたものです。


石飛先生を見ていると、人間の学習能力について非常にポジティブな未来像をみることができます。それは70歳を超えてもなお、新しい環境に飛び込んで自分を変えていける、ということです。70歳になって始めたことで生産的でありうるし、社会を変えるほどの洞察と実行力を示すことができる、ということです。
キャリアの観点から考えると非常に興味深い人生だと思います。済生会中央病院の副院長を辞された時点では、「サラリーマン」としてはキャリアの「死」を体験されています。しかしそれによりできた時間を逆手にとって、スポーツ選手の肩を治した治療についてアメリカの学術誌で発表をし、外科医としての集大成をされたのも先生ですし、なにより70歳になって特養で新たなチャレンジをされたのも先生です。

先生は本の中で次のように書かれています。
恵まれないものはどうするのか、生まれながら障碍を背負っている者はどうするのか、一面的な条件だけで判断すれば人生なんて不公平なもの、そもそも人生なんて一寸先は闇です。いつ何が起こるかわからない。人生すべて塞翁が馬。自分の一生を意味あるものにするかどうかは、人生の途上で次々起こる出来事をどう乗り越えていくか、人生が出すその時その時の問いにどう自分が応えるか、我々の一生はその問いに対する自分の答えでありましょう。(P222)
圧倒的な専門性を背景とした先生のお話には非常に説得力があり、凡人がすぐに真似をできるキャリアではないかもしれません。しかし先生が見せてくれる驚くべき柔軟性については学ぶことが多くあると思います。「病気を治す」ことが仕事の外科医の価値観をもって特養に入り、現場の観察から「看取り」の大切さへと、その価値観を変更していくしなやかさは年齢の問題ではないように思います。そこには人々へ共感する強い力と事実に対する厳密さの類いまれなるプロフェショナリズムへの昇華を見て取ることができます。これは外科医という職業のなせる業でしょうか。
私は外科の医局に入った最初の年に、先輩から「外科医に一番危険なことはヒロイズムだ」と教わりました。我々医者がやっているのは、自然界の複雑な仕組みのほんの一部に関与することでしかなく、それによって少しだけ患者の状況をよい方向に向かわせているにすぎないのです。(P89)
国立社会保障・人口問題研究所の推計によると2060年の日本の人口は8,674 万人、65歳以上の人口は約40%となっています。

若い世代は高齢化の問題を考える際には、自分たちの負担増について議論することが多いわけですが、たとえあなたが今20歳だったとしても日本の高齢化がさらに進む2060年には68歳です。つまり今の若者は日本の高齢化がさらに深化する将来の高齢者であるはずです。自分たちの世代こそが日本の高齢化がさらに激しい時期の「高齢者」である、ということ、その時に私たちは先生のように生産的でありうるのか、ということを石飛先生にお会いするたびに思わずにはいられませんでした。

Creatoで作成した、石飛先生の動画「看取り」という死に方/Dr. Kozo Ishitobi / Gastric feeding tubeは下記よりご覧になれます。


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